菜々美の人生を深ぼる体験マガジン

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第2部・20代各駅停車―個人事業主として事業を開始。その道中で惣士郎氏と出会う―

哲学をやり切って、直感で生きることを選択した横濱菜々美。大学卒業後は、鳴門教育大学の大学院の音楽教育学専攻へ。鳴門や神山での活動、そしてその後九州大学大学院。さまざまな体験を得て、個人事業主として独立の道を歩む。学問への限界を感じた菜々美の、その後の活動を綴る。

熟考の先のインスピレーションを感じたいと思い徳島県鳴門へ

“日本伝統音楽や自然音の間合いやズレをわざとつくるのようなところに熟考した先のインスピレーションがあると感じました”

直感で生きるという仮説を立てた。より熟考した先にあるインスピレーションを感じたいと考え、菜々美が進路先に選んだのが鳴門教育大学音楽教育学。思考や言語を超えた表現し難い何か。確かにそこにあるのだけれども、その場の雰囲気や空気を含めた言葉にできない「何か」。それを体感してもらいやすいのが音楽だと考えた結果、音楽教育学の道へ。

菜々美「現場(社会)と哲学をつなぐためには、臨床哲学とかと音楽教育学が近いところにあると考えました。その中でも、特に自然を表現している東洋の伝統音楽。指揮ができず、円でリズムを取っていたり、間合いやずれをわざとつくるのようなところに熟考した先のインスピレーションがあると感じました。例えば、“ずれ”ならば、“おとずれ”、神の訪れを表現しているとか」

しかし、大学院を1年で辞める決断をする。同時に、社長になるという新たな野望がめばえてくるのもこの時期だ。その考えに行きつくまでには、神山での活動を補足しなければならない。

菜々美「結局、私が通っていた大学院は教育大学なので、先生になるための授業が主でした。しかし、私は先生にはなれないと感じていたのです。というか、先生になったらダメだ、とその時は考えていました。子どもを教育するよりも、教育者の教育をする方が私のやりたい動的で開く活動を広げるには遠回りせずに早く伝えられると感じていました。なので、1年で大学院を辞め、九州大学大学院に入学することになりました」

直感に任せて、やりたい方へ流れるRPGのような生活を送る

“思い付きと直感は異なっていて、しかも熟考した結果の直感。それは、質が違うと思っています”

鳴門時代に大学院生と並行して、徳島県中部にある神山で、インターンや直感で動くという実験を行う。後者に関しては、友人とブレイクドアというチームをつくって、とにかく直感で動く活動を開始した。

菜々美「大学で考えることは時間をかけて、やり切りました。だからこそ、人を巻き込んで偶発的に起こる、その場から生まれてくるものをしっかりと感じることをやっていましたね。でも、ただの思い付きとはちょっと違うんです。思い付きと直感は異なっていて、しかも熟考した結果の直感。それは、質が違うと思っています。考え抜いて直感で良いという仮説が論理的に立っているから、その当時の活動は自分の求める方向性に行くという自信があったんです。
活動は、その場にゆだねて、何かが生まれる偶発性を感じることをしていました。例えば、公園にいる子どもたちを誘って秘密基地をつくったり、左に曲がってみたいと思ったら曲がってみたり、みたいな。そんな途中に、おじいさんと会って、畑を開墾するようになるとか。社会って起きてくることを止めることが多いんですが、止めずに起こさせる。イベントが起これば、その方向へ動くRPGみたいな生活を送ろうとしていましたね」

同時期に、神山の図書館で読んだ祁答院(けどういん)弘智氏の活動に共感し、株式会社リレイションへインターンを行った。

菜々美「特に『競争から共創へ』『積極的放置』そんな祁答院さんの教育や町づくりに対する考え方が素敵だなって思っていました。それでリレイションに連絡を取り、当時募集もしてなかったインターンに申し出て、インターン生として活動させてもらうことになりました。ただ、誰かに支持をされて動くということが嫌だったり(笑)、本当にやりたいことをするには、0から1をつくる作業をすることになると感じていたりと、やっぱり自分自身で会社をやっていくという感情が強くなりました。大学院も含めたこれらの活動を通して、社長になるための準備をしようと思い、九州大学の大学院に入学することにしたのです。今考えると、稚拙な部分もありますけどね」

外的刺激をリハビリするワークショップ『Make Camp』で事業の原体験を味わう

“実際のありありとしたなんとも言えない実物、そのものに出合っていない”

九州大学ではユーザー感性学を専攻。感性という計測不可能なものを、どう社会に価値として届けられるのかを考え、行動していった。大学院2年生は起業準備期間。NPO法人エティックのメイカーズユニバーシティに1期生として参加したり、自身のプロジェクト『Make Camp』を開始した。

菜々美「メイカーズユニバーシティは社会起業家を育てるプログラム。事業による社会課題の解決を重視した内容で、福岡から月に1度は東京に行き、熱量の高い起業家とゼミを組んで、起業準備のディスカッションを行っていました。プログラムの中で、1ヵ月東京に行きっぱなしで、事業計画をつくることもありましたね。そのうちの1週間は段ボールで寝ながら作るみたいな。当時は、グランピング施設兼、研修施設をつくろうと思っていまいた。というのも、メイカーズユニバーシティの前に始めていた『Make Camp』という自分のアウトドアイベントを行っていた影響が大きかったですね」

2015年から始めた『Make Camp』では、「五感の開発」をテーマに、人とのより深い関わり合いを体感できるキャンプ、泊りがけのワークショップを開催。ここでも、分かるけど、理解するのには難解な菜々美節が炸裂する。

菜々美「『Make Camp』は私にとって、自分で事業をつくる原体験でした。開催当初で、10万円弱の利益、これでは生活ができないので、ブログとFacebookで発信活動を開始。発信4ヵ月で集客ができるようになって、すぐにお金をつくることはできる体感を得られました。
このイベントはかなりこだわっていました。自分の心の声が聞こえなくなっている人が多いなという実感がありました。好き嫌いが分からないとか、やりたいことが分からないとか。今の社会で普通に生活していると、良くも悪くも反射的に生きることが可能になってしまう。動的なものに触れることが少ないからです。例えば、花を見たときに、“花”という言語が先行して、“花”という言葉が入ってきます。これは“花”だ、という視点を持つのです。それは、実際のありありとしたなんとも言えない実物、そのものに出合っていない。
プログラムの中で、自由時間をつくっても、最初は何をしていいか分からない、困ってしまう人が多くいました。自分は何を考えているだとか、どうしたいのかに耳を澄ませ、外的刺激によって五感をリハビリするワークショップが『Make Camp』。自然には、あいまいなものが多くあり、その中で過ごすことで、感覚的な五感を蘇らせるみたいな。自分の感覚で動けるように戻っていくというのが目的でしたね」

実行力と思考性を買われて惣士郎氏からジョイントの打診される

“集客も満足にできないのに、なめたこと言っていたなと振り返って思いますけどね……”

『Make Camp』を開催していたころ、活動のロールモデルにしていたRIOという活動家の方の講演会に飛び入りゲストとして来ていたのが、現在マネジメントを行う惣士郎氏。紹介されて、2時間ある懇親会のうち90分ほど自身の人生を語った。

菜々美「RIOに『一押しです』と紹介してもらったので、本気出さなきゃと思い、気づいたら自分の哲学をぶつけていました(笑)「時間」についてとか人類の進化とかを話した覚えがあります。そしたら、恋してこいって言われました。かなりインパクトがありましたね。
惣士郎さんとは、それから1年に1度くらいは会っていました。イベントの主催もやらせてもらったりも。本気のやつお願いしますとか、集客も満足にできないのに、なめたこと言っていたなと振り返って思いますけどね……。その後、私の地元に惣士郎さんがリトリートに来るということで、これは案内せねばと思い、参加しました。その当時は、ブログやセッション、サービスプロデュースなどで、自分の生活ができるくらいにはなっていました。ただ、やりたいことで起業したはずなのに、集客に追われていて、このまま同じ事業を続けていくのはメンタル的に厳しいなと考えていたタイミング。そういった背景もあり、大自然の中のリトリートなのに、惣士郎さんにビジネスの質問を投げましたね。講演会でのどちらかというと感性的な惣士郎さんしか知らなかったので、構造的なビジネスの話や、引き出しの多さに驚いたのを覚えています。人として想像を超える幅を持った人だと感じ、当時奇跡的に募集していたグループコンサルに申し込みました。」

惣士郎氏のコンサルティングを月2回受けながら、アドバイスを実行に移していった。結果、事業のシステム化に成功。集客をし続けなくても、事業が売れるようになったという。コンサルティングが始まって半年ほど経った際に、惣士郎氏の方から個別でのコンサルティングを勧められた。そして、そのさらに半年後には、惣士郎氏から彼の事業を一緒にしてみないかという提案を受ける。

菜々美「大自然というビジョンが重なる部分もあったのだと思いますが、私が必ず言われたことを実行するという部分に信頼感があったのだと思います。そこの信頼があったからこそ、個別コンサルティングのお話もいただいたのかな。惣士郎さんにコンサルティングをお願いするときに、自分のブレインは彼に預けようと思いました。それまで、自分のエゴで、価値観で生きていたところから、180度意識が変わった瞬間だったと思います。
エゴが無くなったというよりは、「未知に冒険したい」というもっと大きなエゴに移ったというか…。むしろ「人類」に向かって、という野望は大きくなったようにも思います。
惣士郎さんから一緒に事業をしないかと誘われた時は、実は背景があって……。個別コンサルティングを受けている時期だったのですが、ある月に100万円支払わなければならない月があって、支払い月に入っていたにも関わらず、売上は30万程度。当時、これは無理だと思って、惣士郎さんに、払えないので、今までありがとうございました、という内容の連絡をしました。そうしたら、「二人三脚で頑張ろう」と返信があったんです。いつも自分から線を引いて人とコミュニケーションをとっていた私の線を、惣士郎さんが跨いでくれた。コンサルというより、メンターとして、一番大切なことを教わっていた思います。自分のためでなく、「共に」という意識が、エネルギーになり、ビジネスの結果もついてきました。」

「共に」という意識になってからは、人数も売上も掛け算ができるようになった。月30万円程度の売上だった当時は無理だと感じていた1日100万円を超える利益。起業家なら誰しもぶつかる壁を乗り越えて、その成果を出し続けた。その成功体験が、売上を伸ばすきっかけとなった。

(会社設立編へ続く)


取材後記
直感だけれど、それは考え抜いた先にある直感。思い付きとは違い、確かな自信と裏付けがある。この姿は、予想していた菜々美像とは異なった。思い付きの方の直感で感じていた。それを良い意味で裏切ってくれた取材だった。

神山での活動を続ける中で、出会いと別れがあり、自分の想いや考えと離れていく親しい人もいたと思う。その理由は、お金だったり、家庭だったり、さまざま。本当はそうではない方向もあった、こっちに来られない悔しさがあったと菜々美は語った。

現在でもそうだが、いつもトライをして、歩みを止めない姿は、見ていてすさまじいなと感じる。どこかで思考を止めたり、辛さで立ち止まったりしそうなもの。いつかその姿勢や原動力も取材してみたいものだ。

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