菜々美の人生を深ぼる体験マガジン

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第1部・20代各駅停車―認められたいという原動力で考え抜いた20代前半―

疑問から生まれる興味と小さなコミュニティーで感じる不自由さ。直入(なおいり)郡(現:竹田市)にいる高校時代までは優等生ながらも、心はいつも外に向いていた。大学進学、哲学に出合い、ベルギー留学と世界を広げ、泥臭く思考を繰り返した結果、辿り着いた直感に従って仮説で生きる。

疑問と思考の原点。失恋がきっかけで心への興味が湧く

“科学を追求すればするほど、謎が増えていく、それってロマンじゃないですか”

いつも空を眺めていた。小学生になる前、太陽はなぜ黄色なのか考えていた。図鑑で調べ、太陽は燃えていることを知った。それが横濱菜々美の世界観の原体験。

菜々美「科学を追求すればするほど、謎が増えていく、それってロマンじゃないですか。私たちが見ている太陽は、燃えているんですよ。星も何億光年も前の光が私たちに届いている。純粋にすごいなって。それが私の科学と神秘の間を感じた初めての体験です。今でも根本にはありますね。小さなころから身の回りのなぜなのかをよく考える性格ではあったと思います。学校の勉強も好きで、一番前の席で授業を聞く生徒でした」

大分の山の中という小さな地域だったからか、いつもどこか外を見ていた。海外に行ってみたいという単純な想いもあった。狭いコミュニティーにいたからこそ、それ以外の自由な世界を妄想して、自由になりたかったのだろう。現実、学校や上下関係のルールなどへの反抗のようなものはあったという。

菜々美「中学生のとき、海外からのゲスト講師が来てくれたことがありました。その講師に勉強ってなんでするのかを聞いたことがあります。回答は『自由』を手に入れるため。知識も経験もない私は、自由のために勉強すればいいんだと、単純に考えました」

その考えも、すぐに覆される。高校に上がり、受験のためのコース分けの際、普通コースに行きたかった菜々美だが、学内でも上位の成績であったため、先生から応用コースへ振り分けられた。

菜々美「その時は、勉強したのに、自由じゃない! って思いましたね(笑)自分で選べない。勉強したら、それなりの不自由があるんだって。
同時期、高校2年生のころだったと思います。失恋をしたんです。年上の方だったんですけど、今振り返ると恋愛や恋人に依存していたんだと思います。その気持ちを消化させるために、初めて海外、ニュージーランドに行きました。失恋した時は、本当に世界の終わりだと思っていたんですよね」

ニュージーランドから帰国後、受験シーズンに入る。失恋、そして受験というタイミングが重なり、依存などの人の心の状態に興味を持つようになった。入るのが難しく、卒業するのが容易な日本の大学に疑問を持った。極端だったと語るように、その影響で、1年留年して、海外の大学に行くと言い出したという。

菜々美「本当に極端でした。どうせ勉強するなら志が欲しかった。加えて、日本の大学に入りたくなかった。なら、海外だと思ったんです。しかし、両親を説得できずに、結局日本の大学に行くことになるんですけどね。ここでも、子どもだからという不自由を感じていました」

哲学との出合い。ベルクソンの『自由』への考え方に影響を受ける

“ただ考える、考えた先の結論がそうなのではなく、熟考。熟れて、落ちてきたインスピレーションが『自由』なんだ”

心への興味を持った菜々美は、哲学と心理学の両方が学べる福岡大学人文学部文化学科への入学を決める。その時のシラバスで運命的な出会いを果たす。

菜々美「哲学と心理学は相容れない学問なので、同時に学べるという大学はあまりなかったんですね。それで福岡大学に。入学直後に読んだシラバスで、『心とは何か』という問いを立てている教授がいたんです。これだ! とビビッときて、1年生からその教授の研究室に入り浸っていましたね。ゼミに入る前から研究室に入り浸っていたので、他学部の哲学に興味のある少し変わった先輩たちと、ディベートで哲学するのは楽しかったですね」

結局、4年間哲学漬けだった菜々美。特に、教授の専門だったフランスの哲学者・ベルクソンの考え方は、現在でも根底にある。

菜々美「研究のメインテーマは『時間と自由』でした。その中でも、ベルクソンの『自由』の定義には影響を受けていると思います。簡単にいうと、ベルクソンの『自由』は、熟考した先に降ってくるインスピレーションのこと。ただ考える、考えた先の結論がそうなのではなく、熟考。熟れて、落ちてきたインスピレーションが『自由』なんだと……。難しいですよね。でも、私自身、哲学については熟考したからこそ、降りてきた考え方や基盤が、今でもあると思っています」

意地と認められたいという原動力で、ベルギー留学を泥臭く生きる

“先生に認められたい、単位を取りたいという意地が原動力でしたね”

大学生当時は、教授になりたいという想いがあり、そのために第二言語で論文が読めるようになる必要があった。その背景もあり、1年間の留学を決める。フランス哲学を学びたいという考えから、フランス語圏とオランダ語圏が混じるベルギーへ。

菜々美「留学先の大学選びは、フランスとベルギーの2か所からの選択でした。フランスは王道だなと感じて、ベルギーに決めましたね。留学の先に決めていたのは、現地の大学の哲学の授業の単位を取って帰国するということ。フランス語を取得するために、留学するのはナンセンスだと思っていたし、なにより、私は哲学がしたかったですから」

海外というフィールドで、一人で暮らす。お金をすられても、病院で症状を説明するのも、自分自身でどうにか解決しなければならない。親や友人、教授など頼れる人と離れて生活する経験を21歳でできたことで度胸がついたと振り返る。

菜々美「現地でも哲学の授業は少人数で、そのネイティブの中に、アジア人が一人入って、最前列で講義を聴いていました。先生はフランス人らしく「分かる?」という感じで、ウインクしてくる優しい方だったのですが、それでもやっぱり分からない。試験前のフランス語で書くレポート10枚は内容が分からなかったといわれ、単位を落としてしまいました。トイレに行く間も惜しんで、寝る間も惜しんで完成させたものだったのですが、言語の壁は高かったですね。
悔しいし、単位を取れなかったら留学した意味も分からない、という意地が大きかったのでしょうね。後期のレポートは何とかクリアできて、面談、試験とパスして、単位を取得できました。本当に、先生に認められたい、単位を取りたいという意地が原動力でしたね」

何でもできると感じたベルギーでの1000人イベント

“本当に思いつくことは何でも行動に移しました。特に学生特権は使い倒しましたね”

留学中には、哲学以外にも現地でもイベントも成功させている。主催者の一人として、イベントのためにできることはなんでもした。

菜々美「結果からいうと、1000人集客して、100万円の利益を生み出せました。言語が異なる土地で、そんなイベントをやり切ったことは自信として、積み重ねられています。
本当に思いつくことは何でも行動に移しました。特に学生特権は使い倒しましたね。会いたいですってDMすれば、会えるんですよ。現地の日本大使館の後援を取ったり、ベルギーの企業やベルギーにゆかりのある日本企業など、あらゆるところへ連絡をして、集客のために動きました。
また、会場がオランダ語圏の地域。そこでフランス語でのイベントをフランス語圏の人たちを呼んで開くというのも一つ意義があったと思います。ただ、これは後からついてきた結果。やっているうちに、効果や意味がついてきたという感じでしたね。ただ、こんなイベントをやりきっているので、日本で、同じ言語でコミュニケーション取れる人たちになら何でもできると思いました」

哲学の授業の単位取得、イベントの成功。泥臭く、学び、考え、行動してきた大学生活は一つの大きな土台となっている。その思考をしてきた時間が、卒業後の菜々美の行動に大きな変化をもたらす。

学問の限界を感じ、仮説で生きる人生を決める

“学問によって「知る人生」ではなくて、「生きる人生」を選ぼうと決めた”

留学前には大学教授を目指していた菜々美だが、卒業を迎えるころには、その考えに変化が訪れる。

菜々美「帰国後、福岡大学の卒業論文で、ベルクソンの研究をまとめました。その中で、エランビタール(生の躍動)という「創造的進化」に用いられる自然哲学の概念があります。生きることをせざるおえない人。ベルクソンがいう「革命家」や「神秘家」です。そのような人に至るために、前述した生の熟考するプロセスがあります。『自由』の定義のように、熟考した先に降りてくるように、エランビタールに突き動かされて、アクトせざるを得なくなる。衝動に動かされる。
この世界には、開く力と閉じる力があります。動的・静的ともいいますが。閉じる力は、種の保存だったり、集団や群れをなすことだったり、ルールがあることだったり。生の躍動からアクションしているときが動的で開く力。固定化され、例えば、法律が法律として認識されたら静的。ということは、静的である法律にも、動的なプロセスがあって法律になっているのです。それは文脈を読まないと分からないもの」

大分の学生時代は、静的なものに嫌悪感があった。大学や留学の経験、大学院生時代のインターンなどから、社会の構造や仕組みがあることを理解したことで、両面を共感できるようになった。だからこそ、立ち返ったのは、自分は何がしたいかということ。

菜々美「大学で哲学をした結果、哲学は学問の中にあることに気づきました。それだと、結局、学会で発表して、その後、何ができるのかってならない。私は、閉じるではなく、動的で開く生き方をしたいと思いましたね。学問によって知る人生ではなくて、生きる人生を選ぼうと決めたのが、卒業論文のタイミング。愛を知るのではなく、愛を生きるという感じ――。論理の限界を、論理によって明らかにできた、だからある種の諦めもつきました。そこからは、直感に従うという仮説を立てて、生きるという方向に舵をきったのが、大学卒業後です」

誰かに認めてもらいたいという原動力で、泥臭く歩んできた20代前半。哲学をやり切り、考え抜いた先に見出した直感に従うという仮説に素直に生きるのが、この後。大学院生から起業までである。

2部に続く


取材後記
ひねくれた田舎少女が楽しいと疑問に素直に、漫画のように順調に階段を登っていくストーリー。太陽への疑問、そこからロマンを見出したその幼少期の感性は、今も変わらず健在なのだろう。そこに、哲学を追求して、思考を続けた。その結果、直感で生きるという仮説に行きついた。言葉や学問では限界のある、何か感じる方向へ突き進むその姿勢には、ずるいと感じざるを得なかった。考え抜いたから、感性に身を任せたといわれたら、もうそうであるしかない。しかし、その過程は果てしなくて、いくつもの疑問と検証を自分の中で積み重ねてきた歴史がある。菜々美さんのその一部の歴史を感じてほしい。

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