菜々美の人生を深ぼる体験マガジン

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直感と哲学の旅、そして運命の出会い――限界を超えて生きる

疑問から生まれる興味と小さなコミュニティーで感じる不自由さ。直入(なおいり)郡(現:竹田市)にいる高校時代までは優等生ながらも、心はいつも外に向いていた。大学進学、哲学に出合い、ベルギー留学と世界を広げ、泥臭く思考を繰り返した結果、辿り着いた直感に従って仮説で生きる。

疑問と好奇心――心が外へ向かった原点

“科学を追求すればするほど、謎が増えていく、それってロマンじゃないですか”

幼少期の菜々美は、いつも空を見上げ、世界の不思議に心を奪われていた。太陽がなぜ黄色いのか、星の光はどこから来るのか。知るほどに謎が深まり、その神秘に魅了された。

「科学を追求すればするほど、謎が増える。それってロマンじゃないですか。」

彼女の好奇心は、閉ざされた小さな地域にいたからこそ、より強く膨らんだ。知識が自由をもたらすと信じ、中学時代に海外から来た講師に「なぜ勉強するのか」と尋ねた。

「自由になるためだよ。」

その言葉は衝撃だった。しかし、高校に進学し、成績優秀だった彼女は、希望とは異なる進路に振り分けられた。
「勉強すれば自由になれるはずなのに、選択の自由すらないなんて!」
この経験は、彼女の中に「本当の自由とは何か?」という問いを生んだ。

哲学との出合い。ベルクソンの『自由』への考え方に影響を受ける

“ただ考える、考えた先の結論がそうなのではなく、熟考。熟れて、落ちてきたインスピレーションが『自由』なんだ”

大学では哲学と心理学を学べる福岡大学へ進学。シラバスの「心とは何か?」という問いに惹かれ、1年生のうちから教授の研究室に入り浸った。

「哲学を学んだ4年間は、まさに思考の旅でした。特に、ベルクソンの『自由』の概念に深く影響を受けました」

ベルクソンの自由とは、単に選択できることではない。深く熟考し、その結果として降りてくるインスピレーションこそが、本当の自由なのだ。

「考え抜いた先にこそ、本当の答えがある――それは今の生き方の基盤になっています」

泥臭く学ぶベルギー時代

“なんとしても単位を取りたいという意地が原動力でしたね”

哲学を極めたい一心で、ベルギーへ留学を決意。第二言語で哲学の単位を取ることを目標に、フランス語の壁に挑んだ。「フランス語ができなければ、哲学は学べない。ならば習得するしかない」試験のレポートは10枚。何度も書き直し、睡眠を削り、教授に喰らいついた。「単位を落としたら、この留学に意味がない。絶対にやり遂げる!」

悔しさと意地を糧に、後期のレポートで単位を取得。これが、彼女にとっての大きな自信となった。

何でもできると感じたベルギーでの1000人イベント

“本当に思いつくことは何でも行動に移しました。特に学生特権は使い倒しましたね”

留学中には、哲学以外にも現地でもイベントも成功させている。主催者の一人として、イベントのためにできることはなんでもした。

「結果からいうと、1000人集客して、100万円の利益を生み出せました。言語が異なる土地で、そんなイベントをやり切ったことは自信として、積み重ねられています。
本当に思いつくことは何でも行動に移しました。特に学生特権は使い倒しましたね。会いたいですってDMすれば、会えるんですよ。現地の日本大使館の後援を取ったり、ベルギーの企業やベルギーにゆかりのある日本企業など、あらゆるところへ連絡をして、集客のために動きました。」
哲学だけでなく、行動力も試された留学生活。学生の特権を最大限活用し、現地の日本大使館や企業と交渉。ついには1000人規模のイベントを成功させ、100万円の利益を生み出した。

「異国の地で言語の壁を越え、イベントをやり遂げた。この経験で、日本なら何でもできると思えた」

学問の限界を感じ、仮説で生きる人生を決める

“学問によって「知る人生」ではなくて、「生きる人生」を選ぼうと決めた”

留学前には大学教授を目指していた菜々美だが、卒業を迎えるころには、その考えに変化が訪れる。

「知る人生ではなく、生きる人生を選ぼう」

ベルクソンの『エラン・ヴィタール(生の躍動)』の概念に突き動かされ、哲学を実践へと変える決意をする。
「考えるだけではなく、行動する。そのプロセスこそが、私の求める生き方だと気づいた」

そうして彼女は、直感に従い、自らの人生を創り出す旅へと踏み出した。言葉や学問では限界のある、何か感じる方向へ突き進むその姿勢には、ずるいと感じざるを得なかった。考え抜いたから、感性に身を任せたといわれたら、もうそうであるしかない。しかし、その過程は果てしなくて、いくつもの疑問と検証を自分の中で積み重ねてきた歴史がある。

熟考の先のインスピレーションを感じたいと思い徳島県鳴門へ

“日本伝統音楽や自然音の間合いやズレをわざとつくるのようなところに熟考した先のインスピレーションがあると感じました”

「直感で生きる」――それは思いつきのようでいて、実は徹底的に考え抜いた先にある確信。

横濱菜々美は、大学卒業後、鳴門教育大学大学院の音楽教育学専攻へと進学した。そこに彼女を突き動かしたのは、「言葉にならない何か」を追い求める情熱だった。

社会と哲学をつなぐためには、理論だけでは足りない。音楽には、思考を超えた世界を伝える力があると考えた。

「東洋の伝統音楽は、自然を映し出す。指揮がない、リズムを円でとる、間合いやズレをあえてつくる。そこに、言葉にできないインスピレーションが宿るのを感じました。例えば、“ズレ”ならば“おとずれ”、神の訪れを意味する……そんな感覚に、心が震えたのです」

しかし、大学院を1年で辞める決断をする。その背景には、神山での活動があった。

「大学院は先生になるための授業が中心でした。でも、私は先生になることが自分の道ではないと強く感じたのです。教育者を育てることの方が、私の求める『動的で開かれた』活動に近い。遠回りせずに広げていけると直感的に思いました」

決断を下すのは簡単ではなかった。鳴門の海を眺めながら、彼女は何度も自分に問いかけた。これまでの努力を無駄にするのではないか。迷い、葛藤し、それでも心の奥底から響く「進め」という声に従うことを選んだ。

そうして菜々美は、九州大学大学院へと進むことになる。

直感に任せて、やりたい方へ流れるRPGのような生活を送る

“思い付きと直感は異なっていて、しかも熟考した結果の直感。それは、質が違うと思っています”

「大学で考え抜いた。だからこそ、次は人と関わり、偶発的な出来事に身を委ねたかった」

鳴門時代、彼女は徳島県中部の神山で、インターンや直感で動く実験的な活動を始めた。

友人と立ち上げた「ブレイクドア」というチームでは、「その瞬間の直感」に従い、行動した。

「ただの思いつきとは違います。直感は、考え抜いた先にある確信。論理的に組み立てた仮説があるからこそ、自信を持って選び取れる。私は、その確信に基づいて動くことができました」

子どもたちと公園に秘密基地を作る。 「左に曲がってみたい」と思ったら迷わず曲がる。 そうして、たまたま出会ったおじいさんと畑を開墾することになった。

ある日、森の中でキャンプをしていたとき、不思議な体験をする。

「焚き火の火が揺れて、周囲の音が消えたような感覚がありました。そのとき、私はただ『ここにいる』という感覚に包まれました。過去や未来ではなく、この瞬間の自分の存在。それを強く感じたのです」

社会では、多くの出来事が「止められる」。けれど、彼女は「止めない」ことを選んだ。どんな小さな流れでも、それに乗ってみる。その先に、思いがけない未来が広がると信じて。

インターンと、社長になるための準備

そんな彼女が、神山の図書館で出会ったのが祁答院(けどういん)弘智氏の活動だった。彼の「競争から共創へ」「積極的放置」という教育や町づくりの考え方に強く共感し、すぐに株式会社リレイションへインターンを申し出た。

「当時、リレイションはインターンの募集をしていなかったんですが、どうしてもそこで学びたくて、直接連絡を取ってお願いしました。そして、インターン生として活動させてもらうことになったんです。でも、私は誰かに指示されて動くのが苦手で(笑)。やりたいことを本当に形にするには、ゼロからイチを生み出すしかないんだと強く感じました。だからこそ、自分で会社をやるという選択肢が、より現実的に見えてきたんです」

大学院での研究、神山での実験、インターンを通じて、彼女は確信を得た——“社長になる準備をしよう”と。そしてその決意のもと、九州大学大学院への進学を決めた。

「今振り返ると、当時の自分には稚拙な部分もあったと思います。でも、その稚拙さすら、私の成長に必要だったんじゃないかと思うんです」

外的刺激をリハビリするワークショップ『Make Camp』で事業の原体験を味わう

“実際のありありとしたなんとも言えない実物、そのものに出合っていない”

「今の社会は、良くも悪くも反射的に生きられてしまう。自分の心の声を聞く機会が少なくなっている」

九州大学ではユーザー感性学を専攻し、「感性という計測不可能なものを、どう社会に届けるか」を考え続けた。起業準備期間の2年生では、社会起業家を育成する「メイカーズユニバーシティ」に参加。東京と福岡を行き来しながら、起業家とのディスカッションを重ねた。

その頃、彼女は『Make Camp』というプロジェクトを立ち上げる。

「『Make Camp』は、五感のリハビリ。自分の感覚を取り戻すためのワークショップです」

今の社会では、何かを見ても「言葉」に変換されてしまう。 花を見れば、「花」という言葉が先行し、そのものとして感じることが少ない。

「ありのままに出会う」体験を取り戻すために、彼女は自然の中で人々の感覚を蘇らせるワークショップを開いた。

ある参加者は、森の中で涙を流した。

「ずっと自分が何を感じているのか分からなかった。でも、この時間を過ごして、やっと自分の心の声が聞こえた気がします」

彼女はその言葉を聞き、確信した。

「私がやりたいことは、こういうことなんだ」

惣士郎氏との運命的な出会い

“集客も満足にできないのに、なめたこと言っていたなと振り返って思いますけどね……”

惣士郎氏との運命的な出会い

『Make Camp』を開催していた頃、活動のロールモデルとして憧れていた活動家RIOの講演会に足を運んだ。その場に飛び入りゲストとして登壇したのが、現在のマネジメントを務める惣士郎氏だった。

紹介を受けるや否や、菜々美は無意識のうちにスイッチを入れた。2時間の懇親会のうち、気づけば90分もの間、自身の人生哲学を熱く語っていた。

「RIOに『一押しです』と紹介された瞬間、『本気を出さなきゃ』と思いました。気づいたら、自分の哲学をぶつけていました。時間とは何か、人類の進化とは何か……とにかく、言葉が溢れ出しましたね」

そんな菜々美の熱量を前に、惣士郎氏はただ一言、こう告げた。

「恋してきなさい。」

その言葉の意味は当時理解しきれなかったが、妙に心に残った。

成長のきっかけとなった学び

それから惣士郎氏とは、年に一度ほど会うという遠からず近からずな距離感での関りが続いた。その中でも、イベントの主催を任せてもらったり、ビジネスについてのアドバイスを求めたり。彼の言葉の一つ一つが、彼女の視点を広げていく。
「本気のやつお願いします」と意気込んで取り組んだ企画。しかし、振り返れば当時の自分は、集客すら満足にできないまま、大きな夢ばかり語っていたことに気づく。

そしてある日、菜々美の地元で惣士郎氏がリトリートを開催することを知り、彼女は迷わず参加を決めた。

その頃の菜々美は、既にブログやセッション、サービスプロデュースで生計を立てられるようになっていた。しかし、思い描いていた「やりたいことで起業する未来」とはどこか違っていた。集客に追われる日々は、理想とはかけ離れたものだった。

大自然の中で心を解放しながらも、菜々美は惣士郎氏にビジネスの核心的な質問を投げかけた。

「それまで惣士郎さんは、感性的な人物として見ていました。でも、彼のビジネスの視点、思考の構造的な深さを知ったとき、想像を超えた幅を持つ人だと感じたんです」
この出会いが、菜々美の人生における大きな転機となる。

惣士郎氏との協業、そして進化

惣士郎氏のコンサルティングを月2回受けながら、彼女はアドバイスを実行に移していった。
結果、事業のシステム化に成功。
「集客に追われるのではなく、仕組みを作れば自動的にお客様が来る」それを体感した瞬間、彼女の中で何かが変わった。さらに半年後、億単位の経営者でなければ受けられないとされる個別コンサルの機会が巡ってきた。信じられないようなチャンスだった。

「私が惣士郎さんにコンサルをお願いしたとき、心に決めたことがありました。『自分のブレインは惣士郎さんに預ける』と。それまでの私は、自分の価値観で生き、自分の枠の中だけで物事を決めていました。でも、その枠を超えたいと強く思ったんです」

エゴを捨てるのではなく、「未知に冒険したい」という、新たなエゴへとシフトする。「むしろ、野望は大きくなったんです。人類に向かって、自分がどこまで成長できるのか。もっと広い世界を知りたいと」
惣士郎氏の思想やエネルギーに触れることで、自分の限界を感じることができた。

「20代のうちに圧倒的な人に出会ったらいいよ、と話すんですが、彼はまさにその存在でした。思想も思考力も桁違いで、私は一瞬で自分の小ささを思い知りました。でも、それがまた嬉しかった。『まだまだ成長できる』と確信したんです」

それからの成長は、驚異的だった。

月30万円程度の売上だった事業は、1日で100万円を超える利益を生み出すようになった。起業家なら誰しもぶつかる壁を乗り越え、成果を出し続ける日々。
そして、菜々美はついに年商億を超える経営者へと成長していく。

ここまで読んでくれたあなたへ。

横濱菜々美の生き方は、理屈ではなく「動くこと」そのものに本質がある。彼女は限界を破り、自らの道を切り開いてきた。そして今もなお、挑戦を続けている。
彼女の話を直接聞けば、きっと「自分にもできる」というエネルギーが湧いてくるはずだ。
もし、あなたが何かを変えたいと思っているなら、まずは彼女に会ってみてほしい。
直感で動く生き方が、どんな未来を生み出すのか――。
彼女のストーリーが、あなたの次の一歩のヒントになるかもしれない。


取材後記

直感、それは考え抜いた先にある直感。思い付きとは違い、確かな自信と裏付けのある決断。今回の取材を通して、当初抱いていた菜々美さんへのイメージが大きく覆された。単なる思いつきで動く人ではなく、徹底的に考え抜いた末の直感を信じる人だった。活動を続ける中で、多くの出会いと別れを経験し、自分の信じる道を貫くために手放したものもあっただろう。

お金、家庭、環境。

どんな理由であれ、共に歩めなかった人々への想いもまた、彼女の中にはあったはずだ。それでも彼女は歩みを止めない。何かにぶつかるたびに、思考を深め、新たな視点を得て、次のステージへと進んでいく。このエネルギーの源泉は何なのか。
それを探るために、またいつか取材したいと思う。

(続く)

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